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短歌人賞の作品とエスペラントの手紙を書くために

図書館に行こうと思う。が、図書館は夏休み学生生徒で満員だ。早く行かないと。
それとあそこの冷房はぬるい。環境のため28度に設定してあるんだそうだがもっと暑いというかじとっとしていて汗が染み出てくる。長く座っているとくらくらしてくる日もある。
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適切な指導者

私が短歌や俳句などを始めたのは小学校四年生だった。9歳である。まだ口語文法というものもきちんと習っていないので、ほとんど勘だけで作っていたと思われる。文語の存在などつゆ知らないのだ。そしてサラダ記念日を出すことになる俵万智もまだ中学生だったと思う、小学生かもしれない。口語短歌は児童の世界の短歌だったというころだ。書くもの書くものほめられた記憶がある。もちろん直しも入ったはずだが子供はほめられたことしか覚えないのか、ほめられればどんどん書くのは道理で私は短歌を好きになった。

中学生になったがここは文芸部がない。しょうがないので中学の「時代」を買って短歌や俳句のコーナーはすでになかったので詩を投稿していた。そうしたら短大生だというNさんがコピーで作っている新聞を送って、書いてくれたら載せてあげる、というはなしでほいほいと書いては載せてもらった。とにかく人の縁がつながって今まで短歌を書いている。学校で培ったものではない。

小学校五年から塾で英語を勉強していた。エポックメイキングなこととして小学校六年のときに、中学生に教える英語が、米語になったということがある。例えば「あなたはテニスをしますか」というのを"Have you play tennis?"と五年生に習ったのに"Do you play tennis?”になるということを早くに接して混乱したが国が違うと言葉も違うということを学んだのだった。中学生になるとラジオ講座でフランス語と中国語をやった。動機がいかにも子供で、「食べ物のはなしがいっぱいあるだろう」ということで食べ物の単語は早く覚えた。

フランス語も中国語も午後十一時代に放送する。ほとんど夜中なのだ。フランス語は、名詞に性があるということで激怒し、動詞の活用がかなり難しくてテキストの日本語を読んで楽しんでいた。テキストが洗練された文だったからだ。中国語はなぜか続いた。高校時代も時間を割いて聞いていた。この高校は殺人的カリキュラムをこなさねばならないので、ちょこっと聞いているという程度だった。

さてエスペラントだが、中国語の易しい読み物が買いたいので、知っている書店では一番大きい書店へ行って目的のものを物色している最中に出会った。早速入門書を買って独習したが、与格って何、奪格って何?とにかく日本語が難しかったので躓いてしまった。今は語学の得意な中学生ならわかる言葉で書いてあるものがあるので、脱落しにくかったと思う。中学生の段階では独習するにも入門書の選び方から探すというのは酷である。身近によい経験者がついていないと続かない。あと、大学生や社会人を対象に書かれたテキストは中学生にはモチベーションを持たせるのが難しいと思う。大学生になって再びやったとしたらもっと早くにエスペラントが上達した可能性はある。

読め、さすれば得られむ

他人の書いたものをとにかく読んで読んで読みまくる。そうすると自分の書くものがよくなる、と言うこと。私が言ったわけではないが。
前に私は短歌を読んでいると色や音が聞こえたり見えたりすると書いた。そして分析しないととも書いた。自分の作品を作ろうとするときも、色や音が普段より変わることを書くことがある。精神が疲れて来ている証拠なので本当は一時棚上げしたほうがいい。でもその色を忘れないうちにと思って書いている。

エスペラントは読むより音で聞くと覚えられる。教材を何度もプレーヤーにかけて聞く。知らない単語があっても知っている単語に混ざっていると意味は大体わかる。
単語集などは口に出して音読する。ただ他人の目が気になって空声であることが多く、実際しゃべるときも声が出なくなる。

集中力が欠けている

風の余波で耳が悪くなって、睡眠不足がたたって何か鳥肌が立ったり、へんな感覚に耐えられなくてうろうろとさまよう。じっと寝ていられないのでなかなか回復しない。眠る間際にへんなものを見るので怖い。

こういうときは無理にエスペラントだの短歌だの考えずに、お菓子の載っている本でも見て横になっていたほうがいいのかもしれない。

言葉の力

エスペラントの創始者ザメンホフ博士は、言葉をひとつにして民族間の争いの種を減らそうとした。言葉だけが民族の争いの種でないことは彼は承知だった。これは私が不勉強なのだがエスペラントの揺籃期に言語権という発想はあったのだろうか。あったような気がする。戦争など人間が人間に対する抑圧を行ってなおエスペラントは生き残っている。

私は海外文通と言う手段で国際交流をしているつもりだが、実際に戦争などの犠牲者(広義の)に援助の手を差し伸べている人もいる。エスペラントを使ってさまざまな国際交流になんであれかかわることは大切だと思う。日本を知ってもらうことでもいいのだ。そして大国でない国の文化を知っておくことも大切だ。

日本語では短歌や川柳を書くことで、この世の中の悲哀や矛盾などを、アジテーションするのではなく静かに語りたい。先天性障害を持った歌人や川柳作家はほとんどいないに等しいから、パイオニアともいえる。

私が筋力トレーニングのため障害者スポーツセンターと言う施設へ行こうとしているとき、駅で視覚障害の男の人と一緒になったことがある。さりげなく見ながらエスカレータを上がっていると、後ろから「めくらや」と言う声がした。その声に排除の気持ちがあったようなのでじろっと見た。その人は「視覚障害者や」とぼそぼそ言った。めくらといわれたら多少傷つくが、心根に排除や蔑みがないのなら言い換えなくてもわかると思う。



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