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私が気づく前に小池さんは私を見ていたらしい。ずっと後で「はじめてみたとき『暑い暑い』とスカートをまくって風を送ってたぞ、大変な子がきたものだなと思ったぜ」
私が積極的に接触を持ったのが次の横浜の歌会で二次会が氷川丸の上でやるというので浮かれまくり、「小池さんを叩いて着たらお菓子をあげる」といわれて本当に頭のてっぺんに飛んでぺちんとはたいて来てしまった。「いてぇなあなにすんだよー」かわいそうな小池さん。でも、若手の女性歌人にあろうことか「プロレスラーになったら」などと耳打ちし泣かせ「ね、寝ればいいんだろう!」と破れかぶれなことを言った。私はその前でひたすらご飯を食べていたが「そんなとこで寝ると風邪ひきますよ」といって彼をがっくりさせた「おまえはあっち行って遊んで来い」ゴーカートや百円遊具のコーナーなので「私はそんなこどもではありません」
こどもなんだよ…
そしてその夏の名古屋での夏季集会(というのがある)に参加した。姉貴分がお前一人で宿を取るのは難しかろう、かといって会の側で用意している宿は高かろう、ここで待ってろといわれたホテルでまっているが待てど暮らせど彼女は来ない。家出少女に間違われていろいろ質問されるしもういや、というところへ「やあ、たこ焼き食うか?」
あほな姉貴はおいておいて、次の歌会では高瀬さんと永井陽子さんに会った。別に二人しかいないわけではないのだが、たくさんいすぎて覚えたのがこの二人だったというわけ。高瀬さんはいったいいくつなのか、定年過ぎてるのか、塩辛声というのはこういう声のことかと思った。高瀬さんは忙しそうだった。永井さんはおかっぱが長くなった感じの髪であまり肉感のない声で「でもそれって…でしょう?」と反論に精を出していた。
この歌会では高得点者に景品が出た。最後の最後で私が呼ばれた。本来なら時点だからもらえないのだが、まだ未成年だしがんばってやってきたのだからと永井さんが店を駆け回って探してきたものだった。瀬戸焼のイカの風鈴だった。わーいで住めばいいのだが風鈴は私の苦手なもののトップの品で風鈴がなると発狂状態に近くなる有様だった。風鈴は封印されたままミシンの中にしまわれた。
私を今の結社に入れたきっかけが高瀬さん、フルネームを高瀬一誌さんといった。高校のときから同人誌に作品を出していたのだが、それを見てわが結社にお入りなさいというはがきが来る。高校生でお小遣いがないといっても「10代・20代特集」にだけでも投稿しなさいとはがきが来る。
ブルーブラックの太い万年筆で、大人な感じがしたが、字のきれいさ加減といえばミミズの行進のようだった。
お入りなさいお入りなさいと何枚もはがきをもらって入らないわけには行かなくなって1984年入会した。