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たいそれたことに

肌襦袢を縫ってみたくなった。半衿をつけるのがやっとなのに。
何かの気の間違いではなかろうか。

郵便物があるかを見に行ったら一階の人がやはり郵便物を覗いていた。
「上手に着てなさるねえ、よう映るわ」と言ってくれるのはうれしいが着物を撫でさすられるとなんだか気色悪い。
着物が珍しいと言うか懐かしいので思わず撫でさするのか?
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ひとつの着物に帯三本というそうである。お太鼓が結べないので、名古屋帯や袋帯はあってもお蔵入りのままだが、細帯・半幅帯はやたらある。しかし実際問題よく締める帯というのは一二本しかないので、もったいないといえばもったいないし、もっといろいろ使えばいいのにという感じでもある。
夏の帯は、袋帯の類が二本、つけ帯が一本、半幅帯が一本。細帯は四季を通じていいそうなのでこれが三本。

本当は着物に合わせて帯やその他のものを買うべきで、私のようにばらばらに買ってしまうのはよくない。なんとなくちぐはぐになる。

日傘

日光過敏がひどい。日焼け止めを塗った手に白い手袋をはめていても、冬用のタビックスで足を覆い着物を着ていて、首筋にタオルを巻いていてもひりひりする。帽子では顔しか覆えないので日傘がほしい。が、日傘はどうしてか高い。緊急に必要だが今買えるお金がない。母が日傘を持っていたと思ったので連絡したらあって、もう使っていないそうなのでとりあえず送ってもらうことにした。

ただ茶色に変色してしまっているそうなので、変色の具合によっては急場しのぎとして、給料が入ったら新たに買うつもりだ。

晴雨兼用となると最低でも四千円かかる。そこまで必要かどうかはわからないが、日傘だけのものでも二千円から三千円する。

いつまでも夜行性でいるわけにもいかないからだ。

有吉佐和子の本

中学生のとき、なにをきっかけにしたのか有吉佐和子の本を読んでいた。中一の読書感想文に「複合汚染」中二で「恍惚の人」を書いた。それなりに理解していたはずである。恍惚の人は今で言う尊厳死のことなども考えた。祖父が癌で亡くなる直前であった。

ところがもう読むなと父が言うのである。この人は思想的に偏っているからだと。私は意味がよくわからなかったので不満だった。それ以来読みたい本はこっそり買って読んでいた。(しかし親は知ってはいたはずだ)寺山修司の本は、まさに偶然だった。隣の本を買おうとして間違えて「家出のすすめ」を買ったのだ。中学生には刺激が強すぎた。吐き気に近いものを感じたのですぐゴミ箱に捨ててしまったくらいだ。

小説ジュニアというティーンズの雑誌がたまたま店にあったのだ。立原あゆみの絵がかわいかったので買った。えらいものを買ってしまった、叱られると思った。で、物置の上のほうにこっそり隠した。でもばれるのは当たり前で、母に、こういう内容のものと知っていて買ったのか、と聞かれて知らなかった、と答え、以後こういうものは買わないようにといわれた。

うぶであった。

適切な指導者

私が短歌や俳句などを始めたのは小学校四年生だった。9歳である。まだ口語文法というものもきちんと習っていないので、ほとんど勘だけで作っていたと思われる。文語の存在などつゆ知らないのだ。そしてサラダ記念日を出すことになる俵万智もまだ中学生だったと思う、小学生かもしれない。口語短歌は児童の世界の短歌だったというころだ。書くもの書くものほめられた記憶がある。もちろん直しも入ったはずだが子供はほめられたことしか覚えないのか、ほめられればどんどん書くのは道理で私は短歌を好きになった。

中学生になったがここは文芸部がない。しょうがないので中学の「時代」を買って短歌や俳句のコーナーはすでになかったので詩を投稿していた。そうしたら短大生だというNさんがコピーで作っている新聞を送って、書いてくれたら載せてあげる、というはなしでほいほいと書いては載せてもらった。とにかく人の縁がつながって今まで短歌を書いている。学校で培ったものではない。

小学校五年から塾で英語を勉強していた。エポックメイキングなこととして小学校六年のときに、中学生に教える英語が、米語になったということがある。例えば「あなたはテニスをしますか」というのを"Have you play tennis?"と五年生に習ったのに"Do you play tennis?”になるということを早くに接して混乱したが国が違うと言葉も違うということを学んだのだった。中学生になるとラジオ講座でフランス語と中国語をやった。動機がいかにも子供で、「食べ物のはなしがいっぱいあるだろう」ということで食べ物の単語は早く覚えた。

フランス語も中国語も午後十一時代に放送する。ほとんど夜中なのだ。フランス語は、名詞に性があるということで激怒し、動詞の活用がかなり難しくてテキストの日本語を読んで楽しんでいた。テキストが洗練された文だったからだ。中国語はなぜか続いた。高校時代も時間を割いて聞いていた。この高校は殺人的カリキュラムをこなさねばならないので、ちょこっと聞いているという程度だった。

さてエスペラントだが、中国語の易しい読み物が買いたいので、知っている書店では一番大きい書店へ行って目的のものを物色している最中に出会った。早速入門書を買って独習したが、与格って何、奪格って何?とにかく日本語が難しかったので躓いてしまった。今は語学の得意な中学生ならわかる言葉で書いてあるものがあるので、脱落しにくかったと思う。中学生の段階では独習するにも入門書の選び方から探すというのは酷である。身近によい経験者がついていないと続かない。あと、大学生や社会人を対象に書かれたテキストは中学生にはモチベーションを持たせるのが難しいと思う。大学生になって再びやったとしたらもっと早くにエスペラントが上達した可能性はある。


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