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いじめられていたものとして、いじめのことを語るのはいやである。あのころがしっかりと思い出され、いじめていた相手に対するのろいのような心さえ再現されるからである。
私は小学校三年から六年までと、高校三年間いじめられていた。何で大人が気づかないのか不振なのは、夏休みのプールの時間に、五六人が私を水中で踏んづけてあと十人が人垣でさえぎっていたぶると言うことである。監視として大人が複数いるはずなのになぜ気がつかないか?下手をすれば死ぬじゃないか。毎日何度もこういう目に遭うと「死ぬんではないか」と言う気持ちになる。それはいじめてる相手に殺されると言うことである。殺されるくらいなら自殺してたたってやると思った。ったってやるとは幼稚だが、もっと幼稚なことに死に方を知らなかったので秋になっても階段から突き落とされたり縄跳びの縄でぐるぐる巻きにされたりしながら冬が来た。
大雪だった。私は傘を持ってこなかったのでそのまま学校から離れた。もしかすると凍死するかもしれないと思ったから。雪はどんどん降ってきて車のわだちも消してしまい足にまとわりついた。どこへも行くあてがなかったので家への道を歩いていた。ぐしゃぐしゃにぬれて帰って怒られた。
高校時代のいじめは、その高校の教師の行う体罰に比べればたいしたことがなかったが、同窓会でも仲間はずれだった。
いじめはあるストレスが極限値を超えると起こるのではないかと思われる。小学校三四年は近所の子にいじめられるほかは平和だった。厳しいと有名な教師になった五六年が一番ひどかった。それと昔のいじめとは違うものがある。圧倒的多数で一人を苛め抜く。もちろん殺意のようなものもある。ただそれは誰であっても好いのでいじめられる特徴の子と言うものはない。
夜桜の半幅帯を締めながら秘めたる思ひを抑えむとす ふゆのゆふ
薔薇柄の総絞りと聞き買ひたれば完膚なきまで抽象化され
椿のある名古屋帯なりわが身幅それをつけるにふさはしくなし
ちんの柄の袋帯ありその値段そっと覗きて後ろに去りたり
入院せよとく入院せよと医師が言ふどこへ入院すべしとは言はず
おろおろとただおろおろと県境を越えて医師のはしごす
過食とは意思で克服すべきもの夫は固く信じて居りぬ
貧しければ一日一品一食で我慢せよと言いしも夫
いきなりの冬に驚き紅葉する ゆふ
テキ用の肉は適度に焼けという
キーボード打ちやめほほに触れている
暗くなるまで遊べとはいえない
七千円出した紬を洗い張り
木綿とか化繊が似合う私である
真っ赤な着物二十代しか着れないか
上の空か耳が遠いか返事せず
名古屋の大須観音では18・28の二日間骨董市が開かれる。そこでは彫り物などのほかにも着物が売られている。お金のない私、500円コーナーへ行ってメジャーで測って寸法のあっているものをチョイス。ひとつは木綿の羽織(後で見たら筒袖だった)ひとつは留袖、ひとつは縞の着物だった。少し高いが黒のストールも買う。わだちへ福祉パスがないか探しに行き、結局初めから自分のかばんにあったことを知り、着物に早速着替える。ところが裾除けを持っていかず、長じゅばんも着ないうそつきスタイルだったので、バスのいすに座ったらひざ上少し見えてセクシーなことになってしまう。要するに、自分にあった着物から採寸するべきサイズを、体からとっていたからだ。さらに内科で注射した綿をいつまでもつけていたら八掛の赤い色が表に染みてしまった。
失敗のほうが多い骨董市デヴューだった。
内科で精神科に入院してくれと言われている。何でそういうことになるかと言うと、内科で直す→退院してストレスから過食や極端な減食をする→糖尿が悪化する、の繰り返しだからと言うことだが精神科では過食を入院で直すと言っても難しいと言う話。ストレスの原因がかなりこじれたものなので精神科では頭が痛い。
我が家の経済力ではちゃんとした食事を食べられないので、とはいえ年金をちゃんとした食事に回せばいいわけだが、私はリッチな食事をしていて夫は豆腐ひとつと言うのもなんだかなだ。
それに食事以外にも費用は要るものだし。