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私は脳性まひ者で、これは選択する余地がなかった。22歳のときから気分障害で、もはや私の人生の半分は心が変調した状態である。脳性まひやほかの身体障害に当事者団体があるが精神障害についてはAA(アルコール依存症の人の自助組織)しか知らなかった。
ぺテルの家について書かれた本をよんだ。ぺテルの家は精神障害者の自助組織だと思う。統合失調の人が多い。(と言うか押し出されている)これを読んでいると、精神を管理するのも「仲間」がいるといないでは大変違っていると言うことがわかる。もちろん医師もいるし、ソーシャルワーカーもいる。でも仲間の体験ほど貴重なものはない。私も入院歴は結構あるが、病院の中でずっと二十年過ごし浦島太郎みたいになってしまって結局帰れない人がたくさんいた。何より医療従事者が人間扱いしてくれないので大変怒りを覚えた。普通、どんな病気でも、退院する日はある。身体障害者でも介助を受けつつ暮らすことができる。だけれども精神障害者は一生病院にいてくれ、家族でさえ、家族だあるからなおさらそういう。私は絶対いやだ。急性期で自他に危害を加えるときならまだしもあそこにいるのは耐えられない。
短詩系で、あるいは短文で噴出してもらうようなものを書いたとき、本人はいたってまじめで、今自分の書いたことで誰かが笑うなんて考えない。そうでないといやらしい。
本人が天然ボケなのでそれがたやすくできるのだが、そういうキャラのない人はあまりこの笑いは狙わないほうが良いだろうなと思う。それぐらい失敗するといやらしい悲惨なことになるもの。ただし子供の句はこういうものが多い。子供はたいてい天然だから。
玄関と言うテーマで短文を書いて、読み上げてもらった。「玄関に犬、台所に猫。」それだけのことなのになぜか人が笑い出すではないか。どこがおかしいってんだ?と思ったが笑いは止まらない。これは文章のことではないが栗田さんと言う人に「黒田さん、黒田さん」と呼びかけていて栗田さんはきょとんとするしほかの人は腹を抱えて笑っている。私は栗田さんに黒田さんと言って何の変な感じもなかったのだ。あほである。
天然は笑われて怒るような人ではできない。
短文を書くときはリズムが大事である。すらすらと読めると気持ち良い。独特のリズムがあるとまた読みたくなる。
短文ではなくある程度の長い文もリズムがないと読みにくい。
よく良くコンビニでトイレを使おうとしたら使用中なのでまっていた。しかし尿意耐えがたくコンビニの通路をうろうろせかせか。そうしたら店の人が「空いていませんか」と。鍵が半施錠の状態になっていて、中は無人だった。
ああ、はずかしかった。
まだまだ暑いがもう秋を先取りせねばならない。着物とはそういうものだ。
今日夏の着物に秋の色の半帯(幅のせばい帯、普段着に使う。)をしめている女の人を二人見かけた。一人は着物から長じゅばんが透けるほどの薄い着物に茶色に少しオレンジがかかった色の半帯をしていた。一人は遠目で着物の生地はわからないがやはり金色が買った茶と黒のしまの半帯を締めていた。
名古屋は三十度を越す真夏日が続いているが朝夕は涼しい風が吹くときがある。