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Kiss…なれそめ番外編

大学を出て職につき、初めての夏にAから手紙があって、今名古屋近くの非営利団体に研修していて近く外国へ行くから、しゃべらないか、とあった。Aは私より三歳か四歳年上で、ある工務店(有名らしい)に勤めていて、お釜バーへ連れて行ってもらってびっくりした経験がある。

今でもその店の前をとおらないと地下鉄に乗れないのでどうでも目にするがそこで食事をした。ここの食事はおいしいことが、結婚してからわかるのだがその当時はおなかが満腹になるほうがうれしかった。超下戸の癖に黒ビールはいいもんだと知っていたのでAに頼んで二口三口飲ませてもらった。お手前のようにくるくる回して口のついてないところで飲んだ。私が食べ終わると場所を変えようという。

セントラルパークの近くにあるビアホールだった。ビアホールというものに行ったことがない私は食べるのに余念がない。Aは酔いがちょうどよくなったのかよくしゃべる。学生時代のこと、今いるところは野郎だらけだということなどなど。考えてみれば二人がともに学生だったのは一年きりだ。時々私の鼻をつまんだり、肩をゆすったりした。乱暴である。ビアホールにはノンアルコールのものはないのかどうかしらないがとにかく無理にビールを飲んでいた私は相当よっていった。

夕刻までしゃべったり飲んでいたことになる。たぶん松坂屋の前を二人千鳥足で、とにかくベンチのあるところへ行った。二人は真っ暗になるというか、終電がなくなるまで延々とキスしていたのであった。えらいことになったと思ったが、私はファーストキスが非常にいやな経験であったので打ち消すためのキスであったとも言える。

Aは終始無言で時々私の胸の一番出ているあたりをつーっと触った。

話はそれだけですまないのだが、うわーっということになってしまった、ことだけ言っておく。
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なれそめ4

音信が再開したのは大学に入って、同人誌作りなどに励んでいたころだった。どうして安心普通だったのかはわからす、事務的な連絡や、他愛のない話をして過ぎていった。私は片思いをして見事にふられ、以後男性とはあまりご縁のない生活をしていた。

大学も三年になったある日、亀石(蘇我氏の墓)を見ないかと言う話になって飛鳥まで行った。こっちがなんとなく高揚してしまって帰りたくないなどと言ってしまった。

「俺は仕事があるから帰らなくてはならない」そういって彼は帰っていった。馬鹿なことをいってしまったと思った。

なれそめ3

 彼はIに電話をかけてくると言ったきり戻ってこない。やがてほかの仲間がやってきて、Iも来てがやがやということになった。市内のジャンボパフェがある喫茶店へ行って私一人がパフェを頼んできゃあきゃあ喜びながら食べている。ほかの面々は文学論議。「おいしい?」「おいしい。」「そう、よかったねー」てなもんである。
 このときほかの面々は「赤尾の総単(そういう単語集がある)を持ってきてまじめな子だと思った。」と言っていた。
  私が高三の夏、不意に手紙が途絶えた。あれ、とは思ったがこちらからいくら出しても手紙は来なかった。今でも事情はわからない。

なれそめ2

 彼はよく原稿用紙に手紙を書いてきた。はっきり行って判読が難しい悪筆だ。悪筆にかけては私も人のことが言えないのでまあがんばって解読した。「僕」と言う一人称と「小生」と言う一人称が混じっていた。古風な人だなあと思ったが、このときはあくまでも自分と同じくらいの高校生だとばかり思っていた。頭がよくて、気味の悪い本ばかり薦める、高校生男子。

 ところが実際は私より十一歳年上だったと知って驚くまいことか。先輩後輩を通り越して教師と教え子の関係になる。私は手紙の文体を丁寧にした。

 Iが短大で学祭をするときに同人誌の仲間を呼んだので来いという。高校二年の秋だった。彼も来ることになっていてJRの駅でみんな待ち合わせることになっていた。

 子供なら一人は簡単に入るだろうという使い込まれた革のかばんを横に置いて彼はいた。「…さんですか」私は二十代の男性と言うものをまじまじ見ていた。同級生の少年らしさはすでにうせ教師のような包み隠された男性らしさと違う、肉体労働をする男、と言うものを見た。節くれだった手に生えた剛毛。

(熊だ…)私は絶句した。同じく現役女子高生でも子供っぽい体つきの私を見て彼は絶句した。後々聞くと、このとき彼はいけない気持ちになってしまったのだと言う。

なれそめ1

 私は中学へ入ったときにはすでに短歌や俳句や詩を書いていて、詩のほうは「中一時代」に入選を三回した(中二時代も含む)、短歌や俳句は私のすぐ上の世代で投稿欄はなくなったようだ。それで、岐阜市に住んでいる短大生のNさんに「私の作っている新聞に作品を寄せてください」と言うことになった。中学生の私はいぶかしむことを知らなかったのですぐに作品を送った。そうするとコピーされた手書きの新聞が送られてくるのだった。私は感激していた。
 この新聞はなぜか学校に送られてくるので、私は担任からこれを受け取ったものだ。「らぶれたーらぶれたー」と担任はニヤニヤしていた。自分の作品が載っていることがうれしかったので、誰かがこれを読んでいるという事まで頭が回らなかった。
 高校にはいるとこの人は、高校生や大学生でやっている同人誌に書かないかと言ってきて、ほいほいと言う感じで会員になった。が、あまり高校生の会員はいなかった(高校生は学校と学年が載る)ので少し疎遠な感じもあった。しかしこのときにまたもやIと言う短大生が「同人誌を作るから書け」(書けとは威圧的であるがもうちょっとくだけたというか、先輩が後輩に対するような感じでものを言われたのだ)と言ってきてストレスフルな学校生活のストレス発散に書いていた。
 そのときとほぼ同時に彼から手紙が来た。吉本隆明の詩集ともう一冊詩集が同送されてきた。感想を書くと今度は真っ黒なおどろおどろしい装丁の本を送って来た。

 埴谷雄高の「死霊」第一巻だった。

送られたからには読まねばならぬ、が、難しい上に気持ち悪いのだ。それを読んでいる私はクラスメイトが気味悪がって近寄らないし、教師もどうやら気味悪い、読んではいけないものを読んでいる生徒、と言う視線を向けてくるのだ。

(この人頭はいいんだろうけど気味の悪い人やなあ)正直そう思った。



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