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眠ってばかり

体力がまだ足りないんでないかな。昨日は食器も片付けず、お風呂にも入らず寝てしまった。朝起きたらNHKでは短歌をやっていた。選者が栗木京子さんだった。生でお会いして、何かお話をしたがあまり覚えていない。栗木さんは愛知の出身だったか。私は語学講座の予約をしてお風呂に入る。が…
ご飯炊いてなかった!それに気が回らなかったので夫朝抜きで出勤するらしい。行き道でなんか買ってね、ごめん。
CSSの勉強がしたいので本を買いたいが、結構コンピュータ関連の本は高い。年金が入ってからにするか。
下駄が今のは後頭部強打につながる転倒をしやすいので買いたい。こちらは大須で380円のがあった。
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浴衣を着て図書館へ行った

ごく普通のコーマ地の浴衣。白地にピンクと緑で朝顔が書いてある。千円そこそこで買ったものだ。去年やたら浴衣を買ったので浴衣は日替わりでも着ることができるがそういうものでもないらしい。ちょっと子供っぽすぎるよなあ、と思っていまいち気分が乗らないでいると同じ団地なのだが誰だかわからない人が「素敵ねえ」といってくださる。誰だかわからない人にあまりお世辞を言う人はいないと思う。そういうことにしておこう。

夕方近くなってきたので、というか本が借りたくなって図書館へ行く。途中で「祭り?」とささやく人を見て浴衣=祭りと言うのは不動のことなんだと実感。ところがぎっちょんちょん、4.5日が熱田祭りでみんなそれをすぐ連想したわけ。行く人行く人熱田まつりの事に話題が変わってしまう。さらに言うとこの祭りは名古屋浴衣解禁日。

図書館の本では浴衣は藍と白、と言うのが王道でピンクだの黄色と言うのは邪道らしい。特にいい年をした大人の着る物ではないらしい。このあいだ大須の骨董市で絞りの入った藍地の浴衣?が三千円で売っていて痛く気に入ったがお金を持っていなかった。今度会ったが百年目、買うかも、買うぞ、けどお金がないんではなかろうか?

昨日は熱田の花火だったそうだ

で、その日から名古屋では浴衣を着ていいことになっているそうだ。浴衣?ちょっと早くはないかと思うのだが東京では五月半ばの祭りから浴衣を着ていいという話を聞き日本は蒸し暑いしな、と思う。朝型病院へ行くときはちょうちょで、家でくつろいでいるときは浴衣でもいいのではないか。

昨日駅前で白い甚平を着た若者にあった。甚平に十字架のクルスと言うところがちょっとミスマッチだが日本の夏だ、と思う。

着物を着ていないと

会う人会う人「今日はどうしたの?」というようになった。前は逆だった。今日は起きたらすでに九時近かったので時間がないのと、胃の具合が悪く吐き気がして洋服にしたわけ。給与面談で、夏は紫外線対策で着物を着てくるということにした。実際着物というのは長袖超ロングスカート、と同様なので。
芸事を習う人が着物を着てくるのだろうが、結構着物姿は見かける。昨日あまりに暑くてのびそうになりながらバスを待っているとき、緑青色のひとえに(黒っぽい模様がある)生成りの半幅帯を結んだ人がいた。若いのかな、と見たらだいたい私と変わらないのではという顔であった。今日はウコン色に何かの花を書いたお太鼓を締めた割と年配の人がいた。やはり着物は緑青色というところが何でだろうと思わせる。

小3だったと思う、いじめっ子がいた

男子である。mと言う苗字である。名前は知らない。とにかく私が家へ帰る途中に待ち伏せていてひっぱたかれる。ひっぱたくと見せてかすらせてみたり、かすると見せて本当にひっぱたいたり、そんな毎日だった。

ある日私はやっぱり待ち伏せにあった。ところがこのときほかに男子ばかり何人かいて、遠巻きにしていた、というか実行する前に私を捕まえてしまっていた。下の履いているものを全部脱がされてしまったのである。そこまでやったのが数名なのだが、mはそれではすまなかった。おしっこをしているところを見せろと強要するのだ。幸か不幸かでるものは出たのだった。で、さらに出口をなめられてしまったのである。

さすがにほかの男子は怖気て、まあ普通そんなことはしないと思うが遠巻きにしていた。が逃げていくわけでも、ましてやとめるわけでもない。

私は本当にショックだった。そして人にいってはいけないことだと感じていた。さらに言うと私はそのころからカンジダになってしまったのだがそういうことをされたからそういう病気になったとずっと、それこそ成人しても思っていた。心療科の医師に「それは、大人が暴行を加えたというのとは少し違うので、そういう感じ方はしなくていいのだ」と言われるまで。三十は軽く過ぎていたと思う。ひどいいいじめではある、が、要するにあまりに子供なので、ただ「女の子のおしっこするところを見たい」という欲求に駆られていただけだったと言えば言える。

ショックなのは変わらないが。

ところでこの場面にもう一人m'がいた。田舎なので同姓がたくさん近所ですんでいる。彼はたぶんそこにいたと思う。mが命令したか、お調子者なのでひょこひょこ参加したかどちらかはわからない。このm'とは高校三年間まで同じクラスにいることになるのだがmがいなければ親切なところがあった。高校でまた私は男子生徒にいじめられるのだがm'は静観していた。彼にはあまりあのことは思い出してほしくない。さらに恥ずかしい思いをするからだ。


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