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回復すると思い出せない。それはよくあることだった。と言うより何か別の私が荒れ狂っていた、と言う感じである。今までは忘れればそれだけ、と言うことでまた穏やかな日々が続くものだった。
私としても経済的破壊行為を続けた結果どうにもならなくなったのは今回が初めてなので(家出を繰り返して経済的に被害を与えたことはあるが何とかなったのだ)いついくら使ったかちゃんと覚えていないともう一度同じ事をしない保証ができないといわれ、ショックで呆然としている。呆然以前の二三日の記憶がすっ飛んだほどだ。
ショックとか精神的動揺を受けると記憶が簡単にどこかへ行ってしまうのだが些細なことほど思い出し重要なことは気づかない。
去年あまりに記憶が些細なことで消えるので脳に何か以上があるのではと思って病院をさまよっていたときに「ストレスが多いと新しいことは覚えられない」と言った医師がいた。もし本当なら私は去年のことを本当に忘れてしまったのかもしれない。
彼はよく原稿用紙に手紙を書いてきた。はっきり行って判読が難しい悪筆だ。悪筆にかけては私も人のことが言えないのでまあがんばって解読した。「僕」と言う一人称と「小生」と言う一人称が混じっていた。古風な人だなあと思ったが、このときはあくまでも自分と同じくらいの高校生だとばかり思っていた。頭がよくて、気味の悪い本ばかり薦める、高校生男子。
ところが実際は私より十一歳年上だったと知って驚くまいことか。先輩後輩を通り越して教師と教え子の関係になる。私は手紙の文体を丁寧にした。
Iが短大で学祭をするときに同人誌の仲間を呼んだので来いという。高校二年の秋だった。彼も来ることになっていてJRの駅でみんな待ち合わせることになっていた。
子供なら一人は簡単に入るだろうという使い込まれた革のかばんを横に置いて彼はいた。「…さんですか」私は二十代の男性と言うものをまじまじ見ていた。同級生の少年らしさはすでにうせ教師のような包み隠された男性らしさと違う、肉体労働をする男、と言うものを見た。節くれだった手に生えた剛毛。
(熊だ…)私は絶句した。同じく現役女子高生でも子供っぽい体つきの私を見て彼は絶句した。後々聞くと、このとき彼はいけない気持ちになってしまったのだと言う。
私は中学へ入ったときにはすでに短歌や俳句や詩を書いていて、詩のほうは「中一時代」に入選を三回した(中二時代も含む)、短歌や俳句は私のすぐ上の世代で投稿欄はなくなったようだ。それで、岐阜市に住んでいる短大生のNさんに「私の作っている新聞に作品を寄せてください」と言うことになった。中学生の私はいぶかしむことを知らなかったのですぐに作品を送った。そうするとコピーされた手書きの新聞が送られてくるのだった。私は感激していた。
この新聞はなぜか学校に送られてくるので、私は担任からこれを受け取ったものだ。「らぶれたーらぶれたー」と担任はニヤニヤしていた。自分の作品が載っていることがうれしかったので、誰かがこれを読んでいるという事まで頭が回らなかった。
高校にはいるとこの人は、高校生や大学生でやっている同人誌に書かないかと言ってきて、ほいほいと言う感じで会員になった。が、あまり高校生の会員はいなかった(高校生は学校と学年が載る)ので少し疎遠な感じもあった。しかしこのときにまたもやIと言う短大生が「同人誌を作るから書け」(書けとは威圧的であるがもうちょっとくだけたというか、先輩が後輩に対するような感じでものを言われたのだ)と言ってきてストレスフルな学校生活のストレス発散に書いていた。
そのときとほぼ同時に彼から手紙が来た。吉本隆明の詩集ともう一冊詩集が同送されてきた。感想を書くと今度は真っ黒なおどろおどろしい装丁の本を送って来た。
埴谷雄高の「死霊」第一巻だった。
送られたからには読まねばならぬ、が、難しい上に気持ち悪いのだ。それを読んでいる私はクラスメイトが気味悪がって近寄らないし、教師もどうやら気味悪い、読んではいけないものを読んでいる生徒、と言う視線を向けてくるのだ。
(この人頭はいいんだろうけど気味の悪い人やなあ)正直そう思った。
私はよく電子レンジでサツマイモをチンして食べるが、栗きんとんの金団のほうは、甘いべたっとしてる。どうやってつくるのだろうか。
母がおせちを作っていたのは私のごく小さいころで、小さすぎて食べられないものばかりだし、食べていても覚えていない。だからおせちの作り方はぜんぜんしらない。数の子が大好きなのでせめて数の子を作りたい、塩抜けばいいんでない、と思ったが何か味がついているらしい。しょうゆはわかるが後は?栗きんとんも栗の甘露煮の蜜でサツマイモをどうにかするのかなとは思うが、思うだけだ。