年金でまとめて支払うものがあって、結局いくらするのか叩くたびに違ってくるので大いに悩んだ。
エクセルに計算させるとまた違うのである。結局払える限り払ってあと本代が残っているが25日までひぼしにならずにすみそうだ。
私は最初の会社を辞めた前後から簿記を勉強していたが、いつも計算が狂うのでそれが悩みだった。理屈はわかっても計算が狂いまくりではどうにもならない。それでも三級とったのはまあ頑張ったと言える。うつ状態のきわみでやっていたんだから頑張りすぎである。
こどもの頃、計算ドリルは得意なのにお買い物が出来ないということがあったと父が言っていた。どうしてそうなるのかよくわからないが、もののやり取りが難しいのか、ものとお金の結びつきが理解できなかったのか、とにかく出来なかったそうである。まあ、一年生前後のこどもには百円持たせておくのが限度だろう。それ以上のお金に対する概念がないからだ。もう少し大きくなってからだが大叔父がお年玉に一万円くれたことがある。まあ驚いて、どうしようかと思ったので親に見せると「金の価値のわからん子供にこんな大金を」と愚痴っていた。妹にも一万円だったのは心底驚いたが、妹は見慣れないものなのであっさり親にお札を渡した。これが百円だったりすると死んでも渡さない子だった。一万円がどうなったか忘れた。
大学時代食事代を集める日があって、当番で集める係をするのだがあるとき四百万円ほど集まった。感激したみんなでお札を触ったり厚さを測ったりしていた。
父は自分の家を現金で一括払いしたことが誇りだ。一千万以上したはずだ。まだ三十代はじめの父は、ひどくラフな格好で銀行に預金を下ろしに行ったら不審に思われて父の父であるところの祖父が呼び出されて始めて己の預金を下ろすことができた。「銀行はなあ、格好で人をみるんや」と後々まで語っていて、銀行に行くときは必ず背広を着て行ったようだ。
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