松木さんが書いているのだが、若手とされる世代でも、五歳ほど年齢が違うともう違う世代であるとおもうとのことだ。まあ中堅とされる世代でもそうだ。ニューウェーブと呼ばれる世代は私より二歳から五歳上だがごく幼いとはいえ昭和三十年代を生きていた。覚えてはいないと思うが。私が小学校三年のとき石油ショックが起きた。そのため父は結構長く失業していた。新聞の言葉で理解できたのは、火事、泥棒、一家心中で何がこわいといってこれらは子供の能力ではいかんともしがたいことなことで、私は日々おびえていた。大人は理解できないこわいことをする存在だった。ニューウェーブ世代はもう少しものが理解できただろうから、むやみにこわがっていることはなかったと思う。次に覚えたのは汚職という言葉でこれは理解するのが難しいというか不可能に近かったが政治家というのは悪いことをしてお金をもらって政治家でない人をいじめていると思っていた。選挙のときだけいいことを言って、うそつきだとも感じていた。教師がいかに理念を説いても肝心の政治家はかねまみれだから信用しない。 だいたい大人を信じていない。
大人が貧しくとも清らかだった日本を捨てたのだから子供であるわたしたちにいかに道徳を説いたって無駄である。くわえて青春期がバブリーで金があれば万能で、それをえるためには汚い手段を使ってもよい、清らかであればただむやみに貧しいだけだと思ってきた。
少し下の世代からは、ただむやみに不景気で、努力以前に人生が決められている感じが強いのではないだろうか。
団塊の世代から上は努力すれば幸せがやってくると思っている。お互いに人生観が違うのだ。私の世代でさえ「いい会社」にはいるのは努力だけではなく親の地位のようなものが必要だということを知っていた。いまや努力しようにもどうにもならずネットカフェで夜を過ごし、派遣という日雇いで金をもらう若者がいる。
日本には老人班が浮き出た。醜い国だ。
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