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蕁麻疹や膀胱炎で

かゆいやら痛いやらでは、ちょっと正常に思考できないと思う。
だから、今考えていることはちょっとなかったことにしておく、かゆくなくなってもそう思っているのなら本気なんだろう、そうしたらここに書けることは書く。

なんだか小さな火山になった気分だ。
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アスペルな私とやまちゃん

わだちの長老山ちゃんは駄洒落ばかり言う。長老だけにねたが古い。おまけにさぶいらしい。
でもやまちゃんが駄洒落を言わないと病気なのでみんな気を使う。

やまちゃんは駄洒落がわかってくれないとしつこく繰り返す。若者ぶってるとひねくれる。二十歳のしば君には実際若いので言わないが。で、私反応するとしばらく絶句して「XXさんには駄洒落がわからんのが僕ちゃんわかった」何度も何度もそうなるうち私には駄洒落を言わなくなった。

アスペルガーは冗談が通じない。まじめに言っているのに受けたり、みんなが冗談で言ってることを真に受けていたりしてそこが対人関係を損なうのだがやまちゃんはその知識はないが勘でわかるらしい。

こういうテストがある。「デートの二人が有名レストランで三十分も待たされた。やってきたボーイ謝罪もしないので『さすが一流レストランだね』といった。さてかれはどうおもっているのでしょう?」三択の答えがあるがなくても普通の理解力があれば(知的障害の人は難しいかも)「彼は怒っている」と答える。私は悩んでいた。皮肉を言っているのかな?本当にさすがだといっているのかな?どういう声で言ったのかわからないからわからない…

自閉性のある子供は時に「サバン」という特殊な天才性を持つときがある。(自閉に限ったことではないが知的障害を持つ人にサバンがある、というか知的障害だからサバンだと呼ばれるのか)放浪の画家山下清画伯も「絵画サバン」らしい。サバンというほどではないが語学が得意なほうだ。それも耳から入ってくることで覚える。かつてエスペラントの集まりで「私は音声教材を繰り返して聞いていれば十回くらい聞けば未知の単語があっても話はわかる」といって信じられないといわれたことがある。文法の初歩と、基本単語を覚えた入門段階を過ぎれば私には可能なことである。規則性にとんだエスペラントだけにそれは顕著だ。一人だけ「そういう覚え方をする人もいるんだよ」といってくれた人がいる。Akiraさんだ。何で辞書もつづりもわからずに話がわかってしまうのかとみんなが否定するので私は自分がおかしいのかと思っていたが、否定しない人がいて安心した。
言語・音感サバン的なものがあるのだろう。知的に問題がないだけに弱いのだが。

歌人と世代差

松木さんが書いているのだが、若手とされる世代でも、五歳ほど年齢が違うともう違う世代であるとおもうとのことだ。まあ中堅とされる世代でもそうだ。ニューウェーブと呼ばれる世代は私より二歳から五歳上だがごく幼いとはいえ昭和三十年代を生きていた。覚えてはいないと思うが。私が小学校三年のとき石油ショックが起きた。そのため父は結構長く失業していた。新聞の言葉で理解できたのは、火事、泥棒、一家心中で何がこわいといってこれらは子供の能力ではいかんともしがたいことなことで、私は日々おびえていた。大人は理解できないこわいことをする存在だった。ニューウェーブ世代はもう少しものが理解できただろうから、むやみにこわがっていることはなかったと思う。次に覚えたのは汚職という言葉でこれは理解するのが難しいというか不可能に近かったが政治家というのは悪いことをしてお金をもらって政治家でない人をいじめていると思っていた。選挙のときだけいいことを言って、うそつきだとも感じていた。教師がいかに理念を説いても肝心の政治家はかねまみれだから信用しない。 だいたい大人を信じていない。

大人が貧しくとも清らかだった日本を捨てたのだから子供であるわたしたちにいかに道徳を説いたって無駄である。くわえて青春期がバブリーで金があれば万能で、それをえるためには汚い手段を使ってもよい、清らかであればただむやみに貧しいだけだと思ってきた。

少し下の世代からは、ただむやみに不景気で、努力以前に人生が決められている感じが強いのではないだろうか。

団塊の世代から上は努力すれば幸せがやってくると思っている。お互いに人生観が違うのだ。私の世代でさえ「いい会社」にはいるのは努力だけではなく親の地位のようなものが必要だということを知っていた。いまや努力しようにもどうにもならずネットカフェで夜を過ごし、派遣という日雇いで金をもらう若者がいる。

日本には老人班が浮き出た。醜い国だ。

ある知的障害の人が

コンビニでキャットフードの缶を持って「これ食べると死ぬ?」と店員に聞いていた。「死なないと思うけど猫が食べるもんでおいしくないよ」と返されたのに「死ぬよ、絶対」と自信ありげに言って去っていった。件の店はよく知的障害者の人が現れてお菓子などを買っていくが、彼らはお金を間違えるが盗むという概念はない。いくらのものかもわからないが、欲しいものを買うと少し世間話をして去っていく。

彼らの誇りは高い。時折自分が卑屈に見えるときがあるほどだ。ただ独特の世界に住んでいるので理解するのがとても難しい。

昔々占い師に

短歌を続けていくにはパトロンが必要だといわれて、いまどきパトロンというものが存在するのかと笑ってしまったが、笑い事ではないようだ。
そういう変人というか奇特な人ってまだいるんだろうか。
いたとして何を見返りに要求するんだろうなあ?

ちょっと想像できないけれど、それしかないような気がするな。

今何か考えるということにもう疲れ果てているので、これ以上考えないが。

何か正常に考えをしようというモチベーションがゼロになってしまった。正常でないが私としては論理の破綻はない。


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