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佐佐木VS松村?

花山多佳子さんの短歌の読みをめぐって二人の食い違いがあった。食い違いがあるまではいいがその書き方が問題になって、ちょっとした論争になっていそうなのだ。(いそうなのだ、と言うのは私は原文を読んでいず、ネット上でそれをめぐる「論争に関する論争しか目の当たりにしていないから)

われ関せずって言う人もいるかもな。いちいち反応していられないとか。
おなかの中に隠して黙っている人も、知らない人もいるだろうな。

歌人と言ったっていろいろなのだ。
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短歌・俳句・川柳 と年齢

短歌は若くても中年でも老人になってもできる。俳句は若くてもできなくはないが中年以降になるだろう。川柳はさらに年齢が上がるのではないか。

というのは短歌には激情的な面が必要だし、俳句には理知的な部分が必要だし、川柳の笑いはなんと言うか玄妙だからだ。

いつまでも子供のような今の四十代に、何ができるのだろうか。

短歌を読んで

短歌を読んでいるとき、不意に音が鳴ったり、ある色が目の前に広がることがある。その短歌に対する印象が先に聴覚とか視覚に訴えてくるのだと思う。それが景色とかざわめきでなくもっと純然とした色や音なのでその歌の感想を述べるときまず「あの音は何の音に似ていたか」「あの色は何の青、赤か」という自己分析からはじめねばならない。ちーんという金属音は、鍵を落とした音なのか、トライアングルなのか。
音がならない歌は見過ごしている歌である。ずっと音はならないかもしれないし、次に読んだときなるかもしれないし。

川柳のほうはもっと人間くさいところがあるというか、どこかに人間の営為がある。自閉が勝っている時は川柳は読んでも疲れる割に拾えない。そういう時は短歌を読む。

毎日即詠をすることにした

毎日短歌と川柳の即詠をすることにした。最初は五句・五首程度から始めることにする。この即詠は、サイトの「川柳・短歌」をクリックすると見られるようになっている。「最近のさくひん~」は一ヶ月単位でその中でいいと思ったものをまとめる。

またエスペラントで日記も書き始めた。

十一月の短歌

夜桜の半幅帯を締めながら秘めたる思ひを抑えむとす   ふゆのゆふ

薔薇柄の総絞りと聞き買ひたれば完膚なきまで抽象化され

椿のある名古屋帯なりわが身幅それをつけるにふさはしくなし

ちんの柄の袋帯ありその値段そっと覗きて後ろに去りたり

入院せよとく入院せよと医師が言ふどこへ入院すべしとは言はず

おろおろとただおろおろと県境を越えて医師のはしごす

過食とは意思で克服すべきもの夫は固く信じて居りぬ

貧しければ一日一品一食で我慢せよと言いしも夫



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