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歌人と世代差

松木さんが書いているのだが、若手とされる世代でも、五歳ほど年齢が違うともう違う世代であるとおもうとのことだ。まあ中堅とされる世代でもそうだ。ニューウェーブと呼ばれる世代は私より二歳から五歳上だがごく幼いとはいえ昭和三十年代を生きていた。覚えてはいないと思うが。私が小学校三年のとき石油ショックが起きた。そのため父は結構長く失業していた。新聞の言葉で理解できたのは、火事、泥棒、一家心中で何がこわいといってこれらは子供の能力ではいかんともしがたいことなことで、私は日々おびえていた。大人は理解できないこわいことをする存在だった。ニューウェーブ世代はもう少しものが理解できただろうから、むやみにこわがっていることはなかったと思う。次に覚えたのは汚職という言葉でこれは理解するのが難しいというか不可能に近かったが政治家というのは悪いことをしてお金をもらって政治家でない人をいじめていると思っていた。選挙のときだけいいことを言って、うそつきだとも感じていた。教師がいかに理念を説いても肝心の政治家はかねまみれだから信用しない。 だいたい大人を信じていない。

大人が貧しくとも清らかだった日本を捨てたのだから子供であるわたしたちにいかに道徳を説いたって無駄である。くわえて青春期がバブリーで金があれば万能で、それをえるためには汚い手段を使ってもよい、清らかであればただむやみに貧しいだけだと思ってきた。

少し下の世代からは、ただむやみに不景気で、努力以前に人生が決められている感じが強いのではないだろうか。

団塊の世代から上は努力すれば幸せがやってくると思っている。お互いに人生観が違うのだ。私の世代でさえ「いい会社」にはいるのは努力だけではなく親の地位のようなものが必要だということを知っていた。いまや努力しようにもどうにもならずネットカフェで夜を過ごし、派遣という日雇いで金をもらう若者がいる。

日本には老人班が浮き出た。醜い国だ。
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「短歌現代」八月号 歌人賞・新人賞

短歌現代八月号を立ち読みした。松坂屋が開くまで時間つぶししたかったからだが。
歌人賞と新人賞の発表号だった。どうやらこの区分は「年齢」らしい。そうなるとだいたいラインというのは40代というのが相場だ。40才がラインならば私は新人賞には応募できない。40代いっぱいなら歌人賞には応募できない。難しい年頃ですね。まあ、それにも問題は、というかいちゃもんつけようという気はあるが、些細なことなのでやめておく。

新人賞の評に「表記が乱れている」とあるので仮名遣いや文法がおかしいのだろうか、と読み進めると「一行連続」していないということらしいので驚く。それは応募上のル-ルであって一般的な短歌に関するルールではない。結社誌でもそういう書式のルールはある。それは事務的なルールであるはずだが。編集か選者かはわからないがこれを短歌のルール破りだといっている。

二行書き・三行書き、一字下げ、空白、記号にいたるまで「短歌としての表記の乱れ」としている。あのね、

頭が固い!もしくは居丈高!

そんなんだから応募が少ないんだ。百ちょいだったっけ。千ってことはないわな。名前を挙げて申し訳ないが「短歌人」の冨田真朱さん、彼女の歌から記号や空白を取り上げたら彼女の歌ではなくなるよ。万が一、億が一彼女が応募したら真っ先にはねられる。内容も見られずにさ。あれがいいかどうかは人それぞれだけど、門前払いにされるとしたらかわいそうである。ま、それがうちの方針ですってならやってなさい、そんで優等生の歌をとりなさいな。

短歌人賞へ向けての

ひとつのテーマが出来た。あとはそれをどう表現してゆくかだが。このテーマは私にとってのライフワークになりそうである。

「短歌人」の歌会で

学生時代のこと、歌会の前に進行の人が「あなたのうたで批評が回ってきても、自分だと言わずにしれっとやるのよ」と言われた。はぁ、演技力も必要なのね、歌会って。と思いつつやっていたら、何回目かで本当に自分のがきてしまったことがある。演技力はどうだったか知らない。ところが正直の人が正直に告白してしまうと、進行がストップしてしまうのだ。ばれてもいいから演技するのがルールである。

歌会でも「なんていえばいいの」と言う歌にあたることがあり、しどろともどろで乗り切った。若いということは怖ろしい。自分の選んだものは的外れだろうがなんだろうが押し切った。選ばない積極的な理由が的外れでも乗り切った。批評力というより度胸が据わってしまったところがある。

押し切ると言えば、歌会果てて二次会三次会で京都のどこかのバーへ二十名くらいでなだれ込んだ。未成年は私一人だった。京都は一見さんお断りと言うじゃないか、えいままよ、と上の男連中がドアを開け、ママさんかき口説いて入れてもらった。上と言っても四十代はじめの人間だから「まあ、お兄さんは歌人の先生ですか」である。ママさんは私のところへやってきたが言葉につまり「お嬢ちゃんはジュースにする?」とだけ言って去ってしまった。未成年と言うか、中学生なんか連れてきて(中学生みたいな感じの大学生だったので)と内心悩んだのかもしれない。

活気付いていると言うのと荒れているというのは違うのだ

黒田さんのブログと松木さんのミクシィ日記を往復する。
黒田さんのブログのアクセスが多いのは野次馬もいるし事実と違っていやしないかとはらはらしてる人もいるし、純然と読みたい人もいるだろうけど割り引いたほうがよくはないかと思う。
私に関係する短歌でないことで日本沈没を見たのは私が小学生低学年だと言うことはコメントしたはずだが記事の中でどうも二十代か三十代で見ている印象を与えかねないのだ。小学生低学年だから感じたことを大人になっても感じるかどうかは疑問だし、むしろ冷めて今度はあら捜しをするような人間なのだ、私は。

意図的にそう書かれてあるとしたらものすごくいやな気分だが、意図的でないのかもしれないし、もとより短歌のことではないので私のパーソナリティが誤解されようと、かまわんと言えばかまわん。


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