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同じ父から生まれた姉妹だが、父との関係はかなり違う。それを気にしたのが小学校三年ころで、妹は四歳だった。宴会のあとべろべろに酔った父が帰ってきて風呂場で風呂から上がったばかりの私を見てギクッとした顔をすると向きを変えて「みーっちゃーんちゅうしたるー」と妹に近づきもがいている妹をめったやたらにチューしていた。なぜわたしはぎくっなのか?大きいからか?もしかして裸だったからか?
父と妹は喧嘩も激しいがその分なんでも言える雰囲気がある。三歳の姪の遠足を出しに金のペンダントを買ってくれといったりしている。私は常に現金であることと、生活費にかかわることであることからおどおどとした対応になり父は当惑している。私にどういったらわかってもらえるのか苦労している。私もどういったらわかってもらえるのか困る。
母と私たちはほとんど変わらないように思うが父は違うのだ。
いじめられていたものとして、いじめのことを語るのはいやである。あのころがしっかりと思い出され、いじめていた相手に対するのろいのような心さえ再現されるからである。
私は小学校三年から六年までと、高校三年間いじめられていた。何で大人が気づかないのか不振なのは、夏休みのプールの時間に、五六人が私を水中で踏んづけてあと十人が人垣でさえぎっていたぶると言うことである。監視として大人が複数いるはずなのになぜ気がつかないか?下手をすれば死ぬじゃないか。毎日何度もこういう目に遭うと「死ぬんではないか」と言う気持ちになる。それはいじめてる相手に殺されると言うことである。殺されるくらいなら自殺してたたってやると思った。ったってやるとは幼稚だが、もっと幼稚なことに死に方を知らなかったので秋になっても階段から突き落とされたり縄跳びの縄でぐるぐる巻きにされたりしながら冬が来た。
大雪だった。私は傘を持ってこなかったのでそのまま学校から離れた。もしかすると凍死するかもしれないと思ったから。雪はどんどん降ってきて車のわだちも消してしまい足にまとわりついた。どこへも行くあてがなかったので家への道を歩いていた。ぐしゃぐしゃにぬれて帰って怒られた。
高校時代のいじめは、その高校の教師の行う体罰に比べればたいしたことがなかったが、同窓会でも仲間はずれだった。
いじめはあるストレスが極限値を超えると起こるのではないかと思われる。小学校三四年は近所の子にいじめられるほかは平和だった。厳しいと有名な教師になった五六年が一番ひどかった。それと昔のいじめとは違うものがある。圧倒的多数で一人を苛め抜く。もちろん殺意のようなものもある。ただそれは誰であっても好いのでいじめられる特徴の子と言うものはない。
内科で精神科に入院してくれと言われている。何でそういうことになるかと言うと、内科で直す→退院してストレスから過食や極端な減食をする→糖尿が悪化する、の繰り返しだからと言うことだが精神科では過食を入院で直すと言っても難しいと言う話。ストレスの原因がかなりこじれたものなので精神科では頭が痛い。
我が家の経済力ではちゃんとした食事を食べられないので、とはいえ年金をちゃんとした食事に回せばいいわけだが、私はリッチな食事をしていて夫は豆腐ひとつと言うのもなんだかなだ。
それに食事以外にも費用は要るものだし。
学生のころだから二十年程前にはやった歌に
一月は正月で酒がのめるよー
酒が酒が飲めるよ 酒がのめるよー
と十二月まである歌があった。ひたすら酒飲む歌である。六月など
六月は何にもないけど酒がのめるよー
だからあきれてものが言えない。下戸の私から言わせればこれでは一億総アルコール依存症である。このころよりあとになるが「二十四時間戦えますか」と言う歌があってそれはそれで怖いものがある。
日本人ってこういう歌が好きね。
立っているのに地面から見上げている視線だったり、何か水の類が流れ込んでくる感じがする。今日は先頭の外に寝ていたらどぶ水と銭湯の湯がごっちゃにかかって来ていやな気持ちの夢だった。
いつまでも悪夢が続く金曜日 ゆふ
夢と夢の句読点で水を飲む ゆふ